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2015.08.03

今月の一品⑤アッシリアの武人像

 先日に引き続いて、石黒孝次郎氏から寄贈された品をご紹介しましょう。メソポタミアとエジプトの衣類の比較展示の中に置かれているアッシリア武人像の浮彫断片です。紀元前8世紀、ティグラト・ピレセル3世の頃のアッシリアの首都ニムルドの宮殿を飾っていた浮彫の部分と伝えられています。この展示では、石に刻まれた古代の作品に直に触れることができます。

 トンガリ帽子の冑をかぶった戦士が2人、一人は弓を引き絞り、一人は防御用の盾を掲げています。矢の位置から判断すると弓を引いている人の姿勢がひどく不自然になるのですが、古代アッシリアの芸術家たちは、そういうことに割りに無頓着だったという説があります。確かに、その隣のケース内に展示されているニムルド出土品のスケッチ図版の武人像でも、背筋がこむら返りしそうな変な位置に弓矢が描かれていますから、そうだったのかも知れません。

 この2人の兵士は、歩兵の戦闘単位のペアだということですが、特徴的なのは2人が着ている厚手の戦闘服です。解説では、生地を「刺し子」あるいは「押型の戦革」と説明していますが、見た感じでは柔道着のような厚手織の「刺し子」のように思えます。時代から考えて、当然金属製の鎧があったはずですが、このような戦闘服で戦場に出て行った兵士たちがいたというのは、なかなか興味深いことです。弓兵なので、割に敵から距離のある位置で戦うことが多く、防御機能を多少犠牲にしても、戦闘の際の機動性を重視したのでしょうか。

 もう一つ気になるのは、弓を引く兵士に髭が無いことです。この時代の描写では、髭の無い男性はいわゆる宦官というのが定説ですが、そうだとすると、宦官が弓兵という重要な戦闘要員として前線に出て行ったということになります。隣のケースのレアードのスケッチにも、髭のある弓兵と髭の無い弓兵が描かれていますから、宦官が戦闘に参加するのは普通のことだったのかもしれませんが、ちょっと不思議な感じがします。

 ティグラト・ピレセル3世は、一時落ち目になったアッシリア帝国興隆の基を築いた王様ですから、この兵士たちもアッシリアが上り坂の時の強い軍勢の一員だったのでしょう。アッシリアは、その残虐性で歴史上有名ですが、それは現在の我々から見ての話であって、当時の物差しで見ると単に勇猛果敢であっただけなのかも知れません。でも、髭があろうと無かろうと、こんな兵士が大勢攻め寄せてきたら、やっぱり落ち着いてはいられないですよね。羊頭

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